レヴュースタァライトの表層は「再生産」深層は「再帰」である

少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の考察という名の妄想。まとまりがなく、こじつけと拡大解釈にまみれた怪文書。だであるとですますも混在してるけど許して。適当に書き換えたり修正追記したりするかも。舞台少女だからより良くしたい(舞台少女ではない)。

 

以下専門用語はほぼWikipedia知識(責任転嫁)

 

 

まず

結論、少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の根幹は「再帰」である

「A=A+α」みたいなやつ(分かってるようでよく分かってない)

再帰 - Wikipedia

 

◆あるもののアンチテーゼがそれ自体でもある「対照再帰

「ずっと昔のはるか未来」という文言やばななのループ*1過去が未来
華恋の運命がひかりの運命。自己が他者

逆さまの塔。「落ちる」「下へ向かう」が肯定的に描かれている。上が下

劇が劇中劇をなぞる紋中紋。中が外

紋中紋 - Wikipedia

地下劇場の入り口(出口)が学校の出口(入り口)、華恋が入ったら外(砂漠)に出た「ひかりの運命の舞台」。「入る」が「出る」
華恋の誕生日が最終話放送日。始まりが終わり

ななの誕生日が放送開始日。停滞が進展

「彼女たちが求める舞台」と「彼女たちを求める舞台」。受動と能動

 

◆あるもののメタファーがそれ自体でもある「隠喩の再帰

キリンは視聴者のメタファーだが視聴者そのものでもある。
舞台少女たちは役を得ることで形をなす「キャラクター」のメタファーであると同時にキャラクターそのものでもある。

東京タワーは約束のメタファーだが約束そのものでもある。ひかりの運命の舞台のセリフを止めたのは華恋の「約束」という言葉であり、繰り返すはずの悲劇の運命を止めたのも約束のメタファーである東京タワーである。

 

◆両方組み合わせた再帰、あるいは相互の再帰

キリンのオーディションは「スタァライトのオーディションではない」キリンも誰もそんなことを言っていない。「運命の舞台のトップスタァになれる」としか言っていない。なのに8話レヴュー直後のひかりとばななの会話などでまるで「スタァライトのオーディションでありスタァライトのメタファーでありスタァライトである」かのように扱われている。視聴者は「キリンのオーディションがスタァライトをなぞっている」となんとなく思わされていたが、我々から見たその「メタファー」が登場人物によっていつの間にか「そのもの自体」であるかのように語られている(そこに違和感を感じさせない脚本がヤバい)。
また「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」自体が虚構のアンチテーゼである現実のメタファーであると同時にメタフィクションなので現実でもある。

 

まとめるとたぶんこうなる。

対照の再帰[A=-A=A]

隠喩の再帰[A=A'=A](こちらをもっとうまく式にしたい)

双方の再帰[A=-A=A'=A] 

 

モノ=アンチテーゼ=メタファー=モノ

現実=レヴュスタ=舞台=現実

 

双葉はん…うちもう自分でも何言ってるかわからへん…

 

再帰するキャラの関係性

少女たちは「自己が他者」という概念の再帰に基づいて「相反する相手がアイデンティティでもある」という関係性である。エモい…

余談だがこの関係性自体は矛盾でも何でも無く現実にもよくある。「他者は主観という自己の中にしか存在しない」からである。まあそんな小難しいこと考えなくても「嫌よ嫌よも好きのうち」とかそういうのだと思っておけば良い。

物語を通して「自分と相手」の「一方を認めないことでもう一方も認めていない」「一方を見ていないことでもう一方も見ていない」という負の再帰が「一方を認めることでもう一方も認める」「一方を見ることでもう一方も見る」という正の再帰になっていく。「正と負」という概念の再帰である。

◆地下劇場

現実(作品内の現実世界も含む)には現象として具現化し得ない「矛盾した再帰を具現化するのが「地下劇場」である。あそこに時間と空間の概念がない*2のはそのため。分かりづらいので「メタファーが具現化する空間」と考えたほうが良いかもしれない。数学の「虚数i とする」みたいなことを物理的に行うような感じ。

例:思春期の可能性という「言葉」は華恋のきらめきのメタファーだが、地下劇場ではPossibility of Pubertyという「剣」として実体化する。言葉はあくまでメタファーであってそれ自体ではないが、地下劇場において言葉が実体化した剣は華恋のきらめきのメタファーであると同時にそれ自体でもある。

「再生産」とはこの「メタファーの具現化」のことではないだろうか。レヴューと演者によって形を変える舞台はよく固有結界*3と比較されているように思う。確かに「心象の投影」という結果は同じであるが、固有結界と違い舞台機構は「投影の媒体が舞台装置に限定される*4」という違いがある。また決定的な違いとして「具現化とメタファーの順序」が違う。固有結界は具現化した心象がメタファーとして現れるのに対し舞台機構は心象のメタファーが具現化するということである。

 

Q,ところでそもそもどうしてそうなるの?

A,なぜなら地下劇場がそういう空間だからさ!

Q,それはなぜ?

A,地下劇場がそういう空間だからさ!

Q,それは…(以下ループ)

これが無限後退

無限後退 - Wikipedia

 この「再帰の具現化は地下劇場に限定される*5」ということで「なんでもあり」という物語の破綻を防いでいる。レヴューは現実世界では行われないし少女たちも舞台衣装を纏わない。唯一の例外は「運命の舞台」でありこれは現実にまで強い影響を及ぼす。運命の舞台の正体は「大量のきらめきで駆動する舞台機構によって作られた」「トップスタァの心象のメタファーを大量のきらめきが具現化した超巨大な舞台」ではなかろうか。

だから一人分のきらめきで作られた「神楽ひかり 運命の舞台」は世界に及ぶわけがなかった。舞台装置としての姿は華恋が招待状を持って入ったあの小さな塔。つまり、死せる舞台少女のきらめきはもうあんなちっぽけな量しか残っていなかったということ。そしてその中に幽閉されたひかりは「一人分の、しかも僅かなきらめきで具現化した自らの心象のメタファーに閉じ込められた」。端的にいうと「自分自身の心の中に閉じ込められた」というウロボロスめいた自己言及である。小さいが果てしなく広く、偽りの星と砂以外何もない、あまりにも空虚な心象だ…

自己言及 - Wikipedia

 

「なんでもあり」にならないことの補足。

再帰の対象となる2つの概念は無関係のものを直接結びつけることはできない*6。なので果物のバナナを大場ななに具現化するようなことはできないと思う。「運命の舞台」なら可能かもしれないけど誰もそんなことは望まないでしょう。え?じゅんじゅん?分かります。


◆キリン

「キリンはデウス・エクス・マキナ」みたいな解釈をよく見るけど、おそらくそれどころではない

キリンは「あの世界のメタファーであり世界そのもの」である「舞台」の観客つまり観測者であると同時に「それらを描いたレヴュースタァライトという作品」の観測者である我々と重なる存在でもある。

これがいかにとんでもないことか。つまり

"「「「世界の観測者のいる世界」の観測者のいる世界」の観測者のいる世界」の…"

という無限後退の「観測者全て」という「矛盾」も「再帰」も内包し超越した高次の存在であるということ。無限後退を俯瞰するもの。意味の分からなさも天井知らずだがとにかくスゴいやつだ。
「矛盾を実現するという矛盾」を実現させているのは地下劇場であり、キリンはその創造主。だがキリンを具現化したのもまた劇場である。これも再帰。その中にいるが外で俯瞰もしているキリンだからこそ生み出せたのだろう。

 

◆世界の真実に触れた我らが主人公

華恋はスタァライトの原典を訳すことで新たな解釈、新たな視点を得た。地下劇場ではスタァライト再帰に基づき世界そのものであるので、華恋は世界を俯瞰する力を得たということ。これが「再帰するスタァライト」に囚われたひかりを助けることにつながる。演者ではなく観客の立場から運命の舞台を見ることで、自分を客観視し「再帰するスタァライト」から抜け出した。ルールからの逸脱、システムからの脱却。第4の壁を破るメタファーの実体化。抜け出すことと飛び入りすることを同時に行う、つまりシステムの中にいるのに外にもいる状態。約束タワーブリッジを成した最後のアタシ再生産は「アニメの中のキャラ」が認識し得ない要素が「アニメの中の実際の現象」として現れている。

・アタシ再生産というアニメ演出

・砕けたボタンが再生するOP

・放送開始前のトレーラー


「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」 トレーラー 第1弾

つまりキャラクターが生きるアニメ本編という枠の外から持ってきたものだ。そしてお気づきだろうか?東京タワーが「世界の壁」である「運命の舞台の外壁」をぶち抜いてくる前に、いつもだったらあるはずの「舞台機構の駆動シーン」が挿入されていないことに。8話の第二幕開演時のタワー落下の時にもあった駆動シーンが、である。あの東京タワーは地下劇場の「きらめき具現化装置」である舞台機構を通さずに華恋が「運命を凌駕する約束のメタファー」を直接再生産したものと推測される。抽象的にも物理的にも世界の外から世界をぶっ壊したのである。これが全くの予想外だった上に超絶にエモい状況下で行われたのでキリンが興奮した…んじゃないかな。俺らである以上「興奮するし、しなきゃいけない」ということでもある。

 

新章ですが、私は奪い合いを与え合いにしたと思ったんですよ。でもこの方のツイート

すごいしっくりきた(感嘆)

そしてこれも再帰じゃん!A=A+Aじゃん!

「必見!きらめき無限増殖法!?」ってなんかウザい感じで検索上位に出てくるやつじゃん!致命的バグにキリンはロールバックも検討する案件ですよ!

実際は運命を交換してきらめきを共有し合うあの二人にしかできないことのような気もします。でもエモければいいんだ!

 

◆「アタシ再生産!」

前項とかなり被るがアタシ再生産について。頻出するこのワードだが本編中で明確にセリフとして発せられたのは二回だけである。一つは運命のレヴュー中、真矢クロのイチャイチャの後でひかりと華恋が手を握り合いつつ一緒に宣言する。この時何が起こったか?何も起きていない。照明バンッ!は宣言の前にあるが、宣言の後は特に何もなく、ただそれまで通り戦うだけである。

二回目はご存知最終話のクライマックスである。こちらは何が起こったかなど説明不要。「アタシ再生産!」は世界を革命し約束タワーブリッジを召喚する魔法の言葉である。

この両者の違いはなんだろうか?二人、それも運命を交換したダブルヒロインが同時に宣言したときは何も起こらず、一人で宣言した時にとんでもない事が起きる。物語のパターンに照らし合わせればおかしいことこの上ない。

思うにこの2つの「アタシ再生産」はメタファーとしての「アタシ」が指すものが違うのだ。前者は「自分と運命を交換した相手のメタファー」であり後者は「世界を俯瞰する観客としての自分のメタファー」である。個別に説明しよう。

9話「「アタシ再生産」」訳:「あなたはアタシでアタシはあなた。再確認したわ!一心同体よ!」

ようするに9話は直前の真矢クロの「アンタについていけるのは…」「私に付いてこられるのは…」というイチャイチャに対抗?しての宣言というだけのことである。この一心同体宣言があるからその後のシーンで真矢が「二人で…一つ!」と言うのだ。

12話「アタシ再生産!」訳:「見てごらんアタシ!アタシはこんな運命なんて型に嵌ってる女じゃないよ!」

これは前項で述べた通り。アタシをなめんなよシステム!という最高の勝利宣言である。

 

◆そもそもばななのループにひかりを介入させたのは誰か?

端的に言うとこれは我々視聴者*7である。ばななのループはアニメ本編では回想で描かれたのみでリアルタイムでは行われていないということが重要である。ばなながループさせているのは「ばななが観測した過去」である。だが「我々が観測した過去*8」は「ばなな世界線」ではなくひかりが転入してきて華恋が飛び入りした「アニメ本編世界線」である。ばななが未来に置こうとした過去が、より上位の観測者によって気づかぬうちに上書きされて別のものになっていたのだ。だから7話で再演は再演でなくなった。ややこしいが未来(ひかり転入)が我々観測者によって確定したために逆説的に7話での過去(ループへのひかり介入)も確定したのである。つまりばなながあのまま再演を永久に続ける方法は「視聴者にアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」を見せないこと」である。そしてそれは現に実行されている。「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の視聴者になっていない者の主観の中の認識の外で、ばななは今も再演を続けているはずである。ばなないす♪

ただ、実質的に再演を止めたのが華恋であるということも正しい。なぜならオーディションに参加したひかりは華恋だからである。運命を交換したことで二人はお互いのメタファーになっており、地下劇場では不同であると同時に同一でもあるからだ。

ここで逆を考えてみよう。「転入してきたひかりがオーディションに参加せず*9、観客席で華恋のレヴューを見る立場だった場合」である。果たしてひかりは飛び入りするだろうか?いつか必ず華恋と戦い、離れ離れになると分かっている運命に身を投じるだろうか?飛び入りしなかった場合、8人のままで行われるオーディションでばななは負けるだろうか?

…分かります。

だから飛び入りは9人目になった華恋にしかできないし、ループを止められるのは華恋だけなのだ。

 

「どうしてそんなに眩しいの!?」

 

過去の眩しさに憧れて、未来を過去に変え続ける停滞を打破できるのは、過去より眩しい現在(current:カレント)しかないのである。そんなばなな…

 

◆授業シーンは「視聴者へのヒント」である

最終話のキリンの視聴者への語りかけは約束タワーブリッジでの興奮の同調への伏線であると同時に「ここまで見てくれた君にこの作品の根幹(再帰の世界であること)の糸口をあげよう」という公式の問いかけに思える。そして2話と3話の僅かな授業シーンは文字通り公式からの我々に対する授業であり上記の問いかけのヒントである。

これが2話の授業シーン。

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以下がこの時のモブ先生*10の発言である。

「大事なのは大きな視点を持つことです。自分自身の役を演じるのはこの一番小さな円。大局的な視点から舞台を見ることで自分の役割をより客観的に捉えることができます」

これは文字通り「この世界を大きな枠で見ろ」ということ。

そして黒板の図は同心円とそれにまたがる循環図。一番外側が「舞台」内側が「演者」?真ん中は読めないがおそらく「演目」とかだろう。この図こそ「少女☆歌劇 レヴュースタァライトの世界」を表したものなのではなかろうか。つまり

一番内側は「アニメの世界」

真ん中は「キリンの世界*11

それらを内包するのが「視聴者のいる現実」

これを踏まえて先生の発言の意味を考え直すと

「キャラクターである君たちは視聴者の視点に立つことで自分がキャラクターであることを認識でき、改めて自分の役割を見直せる」

とアニメキャラに対して教えていることになる。どう考えても最終話でのアタシ再生産の伏線である。ただし華恋が越えた第4の壁は少なくともキリンと視聴者の間にあるものではない。現に彼女は視聴者を認識していない。

 

3話の授業シーン

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同じ先生*12である。このシーンでセリフはないが、黒板の内容を見る限り「演じる」ということに対するかなり哲学的な内容であることが分かる。「スター」ではなく「スタァ」なのも意味深と言えば意味深。

問題点として、私は学問として舞台を学んだことがないのでこの授業が演劇学校では一般的なものなのかどうかが分からない…分かりません…。舞台芸術論を修めた方の情報求む。

この先生中村彼方氏じゃね?

 

◆戯曲スタァライトのビジュアルモチーフ

原典の表紙と、聖翔祭のポスターや台本にはこのスタァライトという物語のモチーフが描かれている。

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こうして見ると聖翔祭の方のモチーフは過剰に抽象化されてるように思える。星の形も女神たちを表す何かもない。

 

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これは11話で華恋が原典の「クレールは幽閉された」という結末を発見したシーンで映っていた挿絵である。こっちの方が聖翔祭のモチーフに近い。○で表現された星の光のシルエットが同じ。この挿絵はこのシーン以前にも登場している。

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9話でひかりが華恋に原典を訳してあげた時である。これはひかりは「クレールは幽閉された」という結末を華恋に訳してあげていないということを示している。どういう意図だったのか。

聖翔祭スタァライトのモチーフに話を戻すと、これはこの世界という舞台(2話授業の同心円でもある)に横からズドーンとぶっ刺さった塔、つまり「約束タワーブリッジ」を上から見た図なんじゃないだろうか?

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真円と半円という違いはあるものの、メタファーとしては十分機能しているように思える。挿絵も含めて*13

そう、メタファーである。

聖翔祭スタァライトは99回から既にこのモチーフが使われているが、この時点ではキリンのオーディションが行われていない。メタファーでもないただのモチーフで終わった。100回を前にオーディションが行われたことで、過去に作られたこのモチーフが約束タワーブリッジのメタファーとして未来を書き換えることになる。新章スタァライトという華恋の運命の舞台でついに世界に具現化したのだ。こうして現実の第100回聖翔祭スタァライトもまた悲劇の運命を再生産できたと考えると、なんとも感慨深いものである。

よかったねばなな!

 

二層展開式少女歌劇

と、銘打たれており公式には「ミュージカル✕アニメの二層」とのことだが、ここまでの解釈でいけば明らかにミスリードである。閣下の動画の補足でも言及したが、最もシンプルな「メタフィクションにおける現実と作品」を筆頭にした「再帰するモノとメタファー」の二層こそが本質なように思う。

この作品は「モノが持つ複数の意味や比喩の意図的な混同」によって再帰表現を成り立たせている事が多い。それを利用した「再帰する二層構造」としては「舞台という舞台設定*14」が最たるものだろう。

・最初の意味である物理的な舞台

・舞台演劇という意味の舞台

・「ある領域」を表す舞台…例「この日本を舞台に…」

これら複数の意味を重ねて現実とアニメの各所に散りばめた上でお互いをメタファーにしあってかつ再帰させるという頭のおかしいことをしている。

「現実を舞台に舞台という舞台設定で舞台少女たちが舞台で戦う舞台」と「アニメを舞台に舞台という舞台設定で舞台少女たちが戦う舞台」の再帰である。

頭おかしなるで双葉はん…

舞台創造科はこの混同を利用した再帰「表現する」「巧妙に隠す*15を両立すると同時にレベルの高い娯楽作品にも仕上げている。これが一番ヤバい。どういう思考してたらこんなもの作品に落とし込めるのか。やはり狂ってるとしか思えない(褒め言葉)。

 

 というわけで脱線したりもしたが

結論、「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の根幹は「再帰」である

 

◆こじつけ

いいか皆。これを見てみろ

「recurrence(リカレンス)」…

これは再帰の英訳」の一つだ

そしてマサイキリン…

ま、まさか!

そう、人類は滅亡する!

な、なんだってー!!

 

◆大百科とかで見て感心したやつ

・マサイさんとアメミヤさんはマサイキリンとアミメキリンから

・再生産バンクの中央のマーク、アタシ再生産のネオン看板、化粧シーンの後のぽんぽんすー華恋を覆うもの。これら全部「リボン」であり再生産つまり再誕(リボーン)だから。キリンの尻尾にもリボン。

・「アタシ」をずらすと「シアタ」

 

◆わからんやつ

・ロリかれひかの座席の左右が入れ替わってること。運命の交換のメタファーの具現?

・「きらめき=130g」の由来。131gとか120gではない理由

・ひかりの舞台衣装のお尻というか腰の紐なに(服飾に疎いマン)

・ひかり二刀流って作画ミスだよね

・歌詞にもいろいろ仕込んであるらしいけど把握しきれません…わからん…

・13話…13話はどこ…

 

◆後書きという名のいいわけ

三日三晩ウンウン唸ってひねり出したひかりの部屋みたいなこの考察ですが、たぶんもっと、かなりシンプルにできるし実際シンプルなんじゃないかなーとなんとなく思っています。

思春期の可能性は華恋のメタファーです。へー。

このくらいがちょうどいいでしょ実際。

あとこの「再帰」は(上で何でもありではないと書きましたが)実際かなり卑怯な考え方です。だって矛盾点も「それは矛盾する者同士が同じという設定に基づいて矛盾ではありません!」と言えてしまいますから。ただこれ、例えるなら「万能チートキャラ」なんですよ。物語において強すぎるキャラはものすごく扱いづらい。アブドゥルは死ぬ!それは設定も同じです。加えて前述の通り「難解過ぎて主題に集中できなくなる」という点でも使いづらい。裏に難解なテーマが隠されてても、あくまでこの作品は娯楽作品として作られています。だから断片的にしか見えない。描かれてるのはほぼ「結果」のみ。「プロセス」も演出に偽装してある。キリンの語りかけがなかったら私も気づけなかったと思います。

そんなこの設定が便利だと思う人は、ぜひ某なろうとかでこの設定を使って作品を書いていただきたい。私は頼まれても絶対無理。拷問に等しい。これを使って物語を作るやつなんてねえ!狂人ですよ狂人!

と、ここまで長ったらしく書いてきましたが当然、この考察と解釈には何の証拠も保証もありません。たぶんスタッフの人が見たら間違いと勘違いだらけです。

脚本の人そこまで考えてないと思うよ…

あと「再帰」の使い方を間違えてる箇所がいっぱいあるはず。「いやこれは再帰じゃねーよ」ってモヤッとした人ごめんなさい。

…うん、考えすぎなのかな…私。でもしょうがない。思索というものはものすごく楽しいのです!みんなもしよう!考察!

以上!

 

◆参考にした考察や感想

順番とかてきとーです。

レヴュースタァライト最終回感想 オタクは美少女剣闘士奴隷の夢を見るか - レヴュースタァライトでこれだけは言いたかったブログ

最終話キリンの「分かります!」に対するもやもや感を見事に言語化してくださったことに感謝。

 

少女☆歌劇 レヴュースタァライト最終回の感想〜愛城華恋と再生産(ネタバレ注意):ランゲージダイアリー

最終話の考察は上の考察書いた後に読んだんですが「自同律の攪拌」や「概念の混線」といった所がかなり私の解釈と近い気がします。

 

『真・南海大決戦』 「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」ツイートまとめ

「少女☆歌劇レヴュースタァライト」アニメ#8 ひかりの人生の物語 - In Jazz

少女☆歌劇 レヴュースタァライト カテゴリーの記事一覧 - イマワノキワ

*1:見た目の結果は同じだが「ばななが過去に行った」のではなく「未来を過去に変えた」という方が正しい

*2:厳密には「ある」が「ない」

*3:こんな所見てる人には説明不要だろうが月的なアレのアレ。厳密にはどういうものなのかよく分かってないからツッコまんといて

*4:ただしその規模は現実の物理法則を大きく逸脱する

*5:この表現自体前述の地下劇場の性質上おかしいのだが

*6:厳密に言えばこの世に存在する限りモノだろうが概念だろうが全く無関係のものなど無いのだけれどそこは勘弁してな双葉はん

*7:なのでキリンという答えも間違ってはいない

*8:1~6話のこと。ばなながループを行うはずだった日から見て過去ということ

*9:そもそも転入理由が日本のオーディションに参加するためなのでそんなことはありえないが

*10:キャストでの役名は「芸術論の先生」

*11:キリンはアニメの世界を外から俯瞰しているが彼がいるのは現実より内側の世界だからである

*12:似たような授業内容だから当然といえば当然かも知れない

*13:○に少しだけ刺さっている挿絵の方はそれが載っているページに書かれた「幽閉された」というところまでを表し、約束タワーブリッジに至る過程、つまりひかりの運命の舞台に飛び入りする華恋のメタファーとなっている

*14:ちなみに4話で華恋が「(真矢と)ステージが違った」「あ、ステージって言っても…(ここでひかりから電話)」と言及する場面がある。おそらく続きは「舞台のことじゃなくて舞台少女としてのレベルってこと」というようなことを言おうとしたのだろう。ステージ(舞台)に複数の意味を持たせ混同させていることを暗喩しているように思える

*15:隠すことで「難解になる」という欠点を補っている